有限会社ユタカ商会

(有)ユタカ商会(資本金300万円、南牟婁郡紀宝町井内290-15、登記面=和歌山県新宮市大橋通3-1-1、代表栗原勇高氏、従業員60名)は、6月28日付で須藤隆二弁護士(大阪市北区西天満4-11-22、電話06-6312-1610)に事後処理を一任、自己破産申請の準備に入った。

当社は、1996年(平成8年)9月創業、2005年(平成17年)8月に法人改組された。シラスやちりめん、シラスはんぺん、サンマ丸干しなどの水産食料品の製造業者で、三重県内でトップクラスの業容を誇り、2008年7月期には年売上高約27億9000万円を計上していた。その後、廻鮮にぎりや「海宝」、郷土料理店「熊野路」などの店舗名で、東京や大阪、和歌山などに飲食店を約20店舗展開するなど飲食事業にも進出し、2010年7月期の年売上高は約52億4200万円まで伸ばしていた。

しかし、積極的な店舗展開などに伴う借入負担が増大し、資金繰りは悪化していた。2010年秋には、主力得意先の商社が水産事業から撤退したことにより、同社から水産物の取引に際して実質的な金融支援を受けていたため、資金繰りが一段とひっ迫。飲食店部門の強化を図ることなどで業容の維持を図ったが奏功せず、2011年5月には当社が有する売掛債権に対して大口債権者が仮差押え手続きを行ったことで信用不安が拡大。先行きの見通しが立たず、今回の事態となった。

負債は債権者約200名に対して約60億円だが、今後変動する可能性がある。

株式会社福岡センチユリーゴルフクラブ

(株)福岡センチユリーゴルフクラブ(資本金7000万円、朝倉市板屋1-1、登記面=福岡市中央区赤坂1-14-22、代表上杉昌也氏ほか1名、従業員80名)は、6月23日に福岡地裁へ民事再生法の適用を申請し、同月27日に弁済禁止の保全命令を受けた。

申請代理人は益本誠一弁護士(福岡市中央区赤坂1-15-33、電話092-751-5006)など5名。監督委員は中山栄治弁護士(福岡市中央区薬院1-16-20、電話092-712-2305)が選任された。

当社は、1987年(昭和62年)5月に福岡市で設立したゴルフ場経営会社。90年5月に、甘木市(現:朝倉市)に18ホール・7359ヤード、パー72の「福岡センチュリーゴルフ&リゾート」を開設、一時期は国内女子ツアーの「ヴァーナルレディース」を開催するなど知名度もあり、2002年3月期には約15億8000万円の年収入高を計上していた。

しかし、その後はゴルフ人口が低迷するなか、数年前から抱えていた預託金償還問題から今回の措置となった。

なお、関連企業の(株)創栄(資本金1000万円、朝倉市柿原1321-11、代表櫻井良正氏)も同様の措置となった。

負債は(株)福岡センチユリーゴルフクラブが約340億円、(株)創栄が約85億円、2社合計で約425億円。

長野工業株式会社

5月27日に長野地裁へ民事再生法の適用を申請した長野工業(株)(資本金5000万円、千曲市八幡3297-2、代表山岸正人氏、従業員138名)は、6月3日、同地裁より再生手続き開始決定を受けた。

再生債権の届出期間は7月8日まで、再生債権の一般調査期間は8月12日から8月26日まで。また、再生計画案の提出期限は9月9日と定められている。

当社は、1968年(昭和43年)12月に設立。従来からミニバックホーや高所作業車など建設機械の製造を主体に制御装置などの製造も手がけていた。ミニバックホーは輸出向けに自社ブランド製造を行い、高所作業車は国内向けOEM製造となっていた。2000年3月にはヨーロッパ向け販社となるハニックスヨーロッパ(イギリス)を買収したことで、ヨーロッパや中東のほか、アメリカなどへも販路を拡大。

一方で、93年には主力得意先の倒産により多額の不良債権が発生し、財務体質が悪化。遊休不動産の売却などを進め抜本的な再建計画に着手、財務内容の健全化を進めていた。その後、販売は順調に推移し、国内向け高所作業車など得意先からの受注が好調に推移した2008年3月期はピークとなる年売上高約119億3900万円を計上していた。

しかし近年は、リーマン・ショックの影響などから主力のミニバックホーの販売が不振となり、2010年3月期の年売上高は約16億800万円にまで減少。原材料高や急激な円高による影響もあって、輸出部門において多額の損失を余儀なくされるなど資金繰りは悪化。自主再建を断念し、今回の措置となった。

申請時の負債は約58億1900万円。

新川管財株式会社(旧商号:株式会社岸本医科学研究所)

新川管財(株)(旧商号:(株)岸本医科学研究所、資本金9300万円、札幌市北区新川2条2-12-20、代表清算人坂井容一氏)は、5月31日に札幌地裁へ特別清算を申請していたことが判明した。

申請代理人は高木裕康弁護士(東京都千代田区丸の内3-3-1、電話03-3213-1081)。

当社は、1970年(昭和45年)3月に(株)苫小牧臨床検査センターの商号で設立。北海道苫小牧市を拠点として、病院向けに臨床検査業務を手がけるほか、試薬・診断薬の販売等も行い、関東、中部、関西地区にも営業エリアを拡大。全国各地にラボを開設し、2008年4月には商号を(株)岸本医科学研究所に変更。2009年12月期には年売上高約81億5700万円をあげていた。またこの間、積極的なM&Aを展開しゴルフ場やワイナリー、日本酒醸造などの本業外の事業会社を傘下に収めグループを形成していた。

しかし、多額の投資によるコストの増加と本業の収益悪化が落ち込むなか、ノンコア事業の失敗と資金流出によって資金不足に陥っていた。加えて、有利子負債は年商を大きく上回る約120億円まで膨らんで資金繰りはひっ迫。このため、債務の返済猶予等により金融機関から支援を得て自力再建を目指していたが、設備投資のための資金調達もままならず、2010年12月には企業再生支援機構に支援を要請していた。臨床検査大手で東証1部上場の(株)ビー・エム・エル(東京都渋谷区)をスポンサーとして、会社分割により事業承継(第2会社方式)を進め、臨床検査以外の事業からは撤退することとなった。2011年4月には当社の商号を新川管財(株)に変更し、会社分割を実施して(株)岸本医科学研究所(資本金10億円、苫小牧市日吉町2-3-9、代表荒井裕氏)に事業を承継。5月23日開催の株主総会で解散を決議し、今回の措置となった。

負債は約75億6000万円。