株式会社竹本電機製作所

(株)竹本電機製作所(資本金3000万円、奈良県橿原市一町308、代表藤田有造氏)は、12月20日に事業を停止し、事後処理を小野博郷弁護士(大阪府大阪市中央区高麗橋2-1-2、電話06-6226-4601)ほか2名に一任した。近日中に自己破産を申請する予定。

当社は、1961年(昭和36年)6月創業、69年(昭和44年)2月に法人改組した。もともとはシャープの協力工場として家電部品の製造を手がけ、同社の協力・下請工場の中でもトップクラスの業容、技術水準を誇っていた。近年はソーラーパネルなど太陽電池部品を主体に電子デバイス、LEDなどの受託生産に注力、2009年1月期には年売上高約2200億円を計上していた。

しかし、リーマン・ショック後の業務請負の受注高は得意先の生産調整を受けて落ち込み、資金繰りが悪化、金融機関から返済猶予を受けていた。その後、LED部門は2009年1月、電子デバイス部門も同年3月に終了するなど業容は一段と縮小。同時期に正社員、派遣社員の大幅リストラを実施し、シャープ福山工場への人員派遣もなくなっていた。さらに、今年に入って役員の大規模な入れ替えを実施、動向が注目されていた。

負債は約179億7800万円。

有限会社四男水産

(有)四男水産(資本金500万円、鹿児島市桜島小池町45、代表萩原正志氏、従業員5名)は、11月19日に鹿児島地裁へ自己破産を申請し、12月8日に破産手続き開始決定を受けた。

破産管財人は上山幸正弁護士(鹿児島市小川町3-3、電話099-227-7711)。

当社は、1973年(昭和48年)4月創業、77年(昭和52年)4月に法人改組したハマチ養殖業者。ハマチ養殖主体であったが89年頃からカンパチ主体の養殖に移行し、その後も比率の変化はあったものの、カンパチ主体の事業を展開。2006年2月期は約5億6300万円の年売上高を計上していた。

しかし、2008年2月期はカンパチ相場の低迷と飼料、重油等の値上がりから大幅欠損となり、2010年2月期にあっても年売上高は約2億3400万円、経常損失の約6800万円と厳しい決算が続いていた。仕入先などとの連携をとりながらの運営で経営立て直しを図っていたが、支え切れずに今回の事態となった。

負債は債権者約38名に対し約36億3900万円(保証債務約24億円を含む)。

株式会社シーエーエム

(株)シーエーエム(旧商号:(株)シスコ・アセット・マネージメント(資本金1億円、千代田区内神田1-18-11、代表平山貴雄氏)は、11月26日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請した。

申請代理人は小野聡弁護士(千代田区神田小川町1-1、電話03-3518-4591)ほか3名。なお、12月10日に三村藤明弁護士(港区虎ノ門4-3-13、電話03-6721-3111)が監督委員に選任されている。

当社は、2001年(平成13年)7月に設立し、不動産投資や資産運用に関わる各種事業を手がけていた。東京、金沢、福岡、名古屋などに営業拠点を開設し、不動産証券化などの手法を用いて、従来は大手のディベロッパーやゼネコンが主体であった大規模開発プロジェクトに、個人投資家や中小事業者が共同して開発に参画できるような資金スキーム、利益配分スキームを提案、実行していた。

京都・名古屋・東京での不動産流動化事業が進み、プロジェクトの売却が進んだ2007年3月期には、年収入高約101億7500万円を計上していたが、サブプライムローン問題以降の国内不動産市況の急激な悪化で不動産流動化事業が急速に縮小し、プロジェクトの中断なども重なり、2010年3月期は年収入高約20億円に落ち込んでいた。さらに、2009年6月以降、所有不動産に複数の差押えが設定されるなど信用不安が表面化。その後も新たなプロジェクトには着手できず、今年10月1日に本店を京都市から旧・東京営業所であった現在地に移転し、11月1日付けで現商号に変更したうえで、今回の措置となった。

負債は保証債務約40億円を含めて約142億円。

能登島リゾート開発株式会社

能登島リゾート開発(株)(資本金1億円、七尾市能登島半浦町7-1、代表不嶋豊和氏ほか1名、従業員62名)は、12月21日に金沢地裁へ民事再生法の適用を申請した。

申請代理人は越島久弥弁護士(金沢市尾張町1-9-11、電話076-222-1213)。監督委員には木梨松嗣弁護士(金沢市大手町7-34、電話076-222-2820)が選任されている。

当社は、1987年(昭和62年)7月に、旧能登島町(現七尾市)などの出資を得て第3セクター方式で設立されたゴルフ場経営業者。民間活力による地域振興をめざして、能登半島国定公園内に位置する能登島に、「観光石川」の保養地づくり第1号モデル事業(石川県観光余暇資源開発公団第1号出資事業)として、89年11月に約60億円の開発資金を投じて「能登島ゴルフアンドカントリークラブ」(丘陵コース・18H)をオープン。官民協力による事業推進により雇用創出等、地域の活性化を図ることを標榜し、バブル崩壊前のオープンと第3セクター方式とあって会員の募集は堅調に行われ、約1550名の会員でスタート。ピークとなる93年3月期には約10億2400万円の年収入高を計上していた。

しかし、バブル崩壊以降は長引く景気低迷に加え、企業のゴルフ接待などの自粛ムードが強まったことから業績は低迷。そのため、当時主流となりつつあったセルフプレーを96年以降導入するなど顧客ニーズに応え、集客に努めたものの、設立時からの筆頭株主企業が97年12月に東京地裁へ和議を申請するなど、業界環境は厳しさを増していた。

こうしたなか、98年以降預託金の返還が開始され、資金繰りを圧迫。預託金の返還方法を変更して厳しい資金繰りの緩和を行うとともに、従業員の給与体系を見直すことで経費削減を図ったが、低価格プレーが可能なゴルフ場が台頭し客単価が低下する一方で退会者も増加。2010年3月期の年収入高は約2億3000万円まで低下し、大幅な欠損計上に加え、退会者の預かり保証金総額も増加したことから、支え切れず今回の措置となった。

負債額は約53億7800万円が見込まれる。