大内田建設株式会社

大内田建設(株)(資本金2000万円、北九州市小倉北区中津口1-2-1、代表大内田薫氏ほか1名、従業員35名)は6月29日に事業を停止し、事後処理を阿部哲茂弁護士(北九州市小倉北区大手町11-3 大手町アイビースクエア2階、大手町法律事務所、電話093-571-3559)に一任、自己破産申請の準備に入った。

当社は1967年(昭和42年)6月に個人創業、82年(昭和57年)7月に法人改組した一般土木建築工事会社。本店のほか福岡市に営業所を持ち、大手ゼネコンの下請け工事、地場デベロッパーからの元請けなどマンション工事を中心とした比較的大型物件の建築工事、附帯する土木工事などを手がけていた。地場のマンション需要の高まりを背景に、2008年7月期には過去最高の年売上高約108億3400万円を計上、北九州地区では大手のゼネコンに成長した。

しかし、その後はリーマン・ショックの影響によるマンション業界の不振から受注が減少して、2009年7月期には年売上高は約56億5500万円に落ち込んでいた。2010年5月には、虚偽の決算書を福岡県に提出したとして建設業法違反の疑いで代表と取締役が福岡県警から逮捕される事態が発生。さらには6月25日には建設業許可を取り消されたこともあって、事業継続を断念、今回の事態となった。

負債は約40億円の見込み。

日成管財株式会社

日成管財(株)(資本金4500万円、横浜市港南区上大岡西1-12-3、代表清算人川島喜久夫氏)は、6月11日に横浜地裁へ特別清算を申請し、6月15日に特別清算開始決定を受けていたことが判明した。

申請代理人は久保義人弁護士(横浜市中区太田町2-32、電話045-641-4142)。

当社は、1963年(昭和38年)3月に設立された三浦半島最大手の地場ゼネコン。官公庁を始めデベロッパーなどを得意先に持ち、マンション、ビル、公共施設等の建築工事を中心に宅地造成、道路舗装、下水道などの土木工事も手掛けて業容を拡大、92年11月期には年売上高約174億1900万円をあげていた。

しかし、公共工事削減や競争激化で受注不振が続いたほか、関連会社への貸付や自社プロジェクトの宅地造成にともなう借り入れ負担で収益が圧迫され、大幅な債務超過に陥っていた。そのため、減資や金融機関支援を得て再建に取り組んだところ、債務超過は解消したものの売り上げ減少が続いて、2008年11月期の年売上高は約32億2200万円まで落ち込んでいた。その後は資産売却や段階的な人員削減でしのいでいたが、主力のマンション建設受注が大きく落ち込んでいたうえ、多額の借り入れ負担が重荷となっていた。このため、2009年10月1日付けで会社分割し、現商号に変更。3月31日の株主総会で解散を決議していた。

負債は約47億円。

財団法人高萩市住宅公社

(財)高萩市住宅公社(高萩市上手綱5150-4、理事長草間吉夫氏、従業員3名)は、6月29日に水戸地裁より破産手続き開始決定を受けた。

破産管財人は足立勇人弁護士(水戸市南町3-2-37 スカイハイツ703、足立勇人法律事務所、電話029-224-7928)。

当公社は、1963年(昭和38年)1月、住宅・工業用地の取得、造成、販売及び斡旋等を担う目的で設立された。萩が丘住宅団地を手始めに、松久保工業団地、手綱工業団地、小島団地、グリーンタウンてつな住宅団地などの開発販売を手掛けてきた。バブル期に開発分譲した小島団地の成功体験により、新たな用地取得開発への動きを活発に行っていた。

しかし、住宅着工数の減少によって塩漬けとなる土地在庫が膨らむ事態となり、さらに地価下落が上乗せとなる悪循環に陥っていた。業況については、2002年3月期に約11億1400万円あった事業収益は、2010年3月期には約5000万円まで落ち込んでいた。また、財務的にも2009年3月末時点の借入金は約49億円で、残る資産を処分しても約33億円の債務超過となり、自力での再建は困難として、市が進める行財政健全化の最重要課題となっていた。

こうしたなか、高萩市議会は6月17日に、市が第三セクター等改革推進債(三セク債)の発行許可を国に申請する議案を全会一致で可決した。これを受けた公社側は同日の理事会で解散を決議し水戸地裁に破産を申し立てる準備をしていた。

負債は約46億9200万円の見込み。

日栄リゾート株式会社

日栄リゾート(株)(資本金4000万円、中央区銀座8-5-18、代表大槻孝氏)は、2009年3月11日に民事再生計画の認可決定を受けていたが、同年11月25日に民事再生手続き廃止となり、6月24日に東京地裁より破産手続き開始決定を受けた。

破産管財人は蒲野宏之弁護士(千代田区内幸町1-1-7、電話03-3539-1371)。

当社は、1951年(昭和26年)12月に設立。休眠などの変遷を経て、日栄総業(株)(東京都中央区)に買収されゴルフ場運営業者として再開、94年に埼玉県皆野町で「ミッションヒルズカントリークラブ」(18H)をオープンした。フェアウエイは緩やかにうねり、池・バンカー・マウンドなど変化に富むコース設計であることに加え、宿泊施設も完備しておりリゾート型のゴルフコースとして知られていた。バブル崩壊後の長期の景気低迷で来場者数は減少傾向をたどっていたものの、プレー費の引き下げを行い来場者数を維持、2002年3月期には年収入高約3億4500万円を計上していた。

しかし、近隣ホールとの競合もあって来場者数は落ち込み、2004年1月にはゴルフ場運営事業を他社へ移管、2005年3月期からは会費徴収業務のみ行っていた。こうしたなか、2004年10月頃からは預託金償還が開始されたが、償還原資に乏しく、期間延期や分割返済にて対応することとなったが、2005年3月にはグループの実質中核であった日栄総業(株)が破産手続き開始決定を受け、当社の動向も注目されていた。その後、2005年10月からは当社が再び「ミッションヒルズカントリークラブ」の運営を引き継ぎ、リストラを通じて経営再建を図ったが、2007年にはゴルフ場内で土砂崩れが起こりプレーに支障が出るなど事業環境は改善されず、自力での経営再建を断念。2008年10月14日に民事再生法を申請し、事業譲渡による再建計画を進めていたが、同計画が破談となり事業継続が困難となった。

負債は約276億5000万円。