大舞工業株式会社

大舞工業<ダイマイコウギョウ>(株)(資本金8000万円、京都府舞鶴市市場龍宮740-9、大谷龍作社長、従業員89名)は、7月2日に大阪地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日保全命令を受けた。

申請代理人は釜田佳孝弁護士(大阪市中央区北浜2-6-26、電話06-6209-8670)ほか1名。

当社は、1948年(昭和23年)6月創業、60年(昭和35年)6月に法人改組した(株)プロウィング(旧・大舞工業(株)、同所、同代表)から、2004年6月に株式分割によって別途設立された土木建築工事業者。旧・大舞工業(株)は、土木工事を主体にマンション・商業施設などの建築工事、舗装工事、水道工事を手がけ、国土交通省、京都府、舞鶴市などの官公庁からの元請けをはじめ大手ゼネコンなどの下請け工事を受注。2001年12月期には年売上高約140億6600万円を計上し、京都府北部の土木建築業者としてトップクラスの実績を誇っていた。

しかし、2003年12月期は年売上高約80億3000万円と大幅な減収、赤字に転落したほか、グループ企業の事業における借入金が増加したことから2004年6月に施工部門を新設分割、再スタートを図った。
2006年12月期は年売上高約97億1300万円、当期利益約7600万円を計上したものの、グループ会社に対する貸付金が5億円を上回るなど財務の改善は進まず資金繰りがひっ迫、今回の措置となった。

負債は保証債務などを含め約100億円を上回る見込み。

株式会社霞ケ浦出島ゴルフ倶楽部

(株)霞ケ浦出島ゴルフ倶楽部(資本金5000万円、かすみがうら市田伏5136、代表菅原秀樹氏、従業員30名)は、7月2日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日保全命令を受けた。

申請代理人は磯貝英男弁護士(東京都千代田区一番町10-8、電話03-3263-0777)、綾克己弁護士(東京都千代田区丸の内2-2-1、電話03-5224-5566)。監督委員は三村藤明弁護士(東京都港区虎ノ門1-6-12、電話03-3519-8321)。

当社は、1979年(昭和54年)2月に設立された。76年に資金難から倒産した霞ケ浦出島開発(株)(霞ケ浦出島ゴルフ倶楽部)の経営を引き継ぐべく、同社の出資者メンバーが中心となって組織した「霞ケ浦出島カントリークラブ担保付会員組合」がその債権債務を継承し、設立された経緯がある。

茨城県霞ケ浦沿岸に位置する「霞ケ浦出島ゴルフ倶楽部」(27ホール)は、美しい樹林と大小13のウォーターハザードが点在し変化に富んだコースで、首都圏から近いという立地の良さもあって94年12月期には年収入高約12億6000万円を計上していた。

こうしたなか、98年に一部預託金返還時期を迎えたが、返還原資に乏しく、応じられない状況にあった。さらに、県内ゴルフ場の価格競争も激化し、客単価の下落から収入は激減。2003年12月期の年収入高は約6億8000万円に落ち込むなど、その後も苦しい運営が続いていた。

負債は約141億円(預託金133億円を含む)。

株式会社名星

(株)名星<メイセイ>(資本金2億1800万円、新城市片山545、登記面=新城市川田新平15-57、代表古瀬弘文氏、従業員35名)は、6月29日に名古屋地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日保全命令を受けた。

申請代理人は玉田斎弁護士(名古屋市西区城西1-4-7、電話052-522-1621)ほか。監督委員には渥美裕資弁護士(名古屋市中区丸の内3-19-1、電話052-961-8670)が選任されている。

当社は、1974年(昭和49年)5月に設立。当初、材木卸を手がけていたが木材不況のためパチンコ店経営に進出し、83年11月に新城市にパチンコ店をオープン。80年代半ばから90年代半ばにかけて、新城市のほか春日井市、設楽町、静岡県浜松市、長野県飯田市などへ出店し、ピーク時の96年5月期の年収入高は約136億5600万円をあげていた。

その後も新規出店を行ったが、大型店の台頭や客単価の低下によって既存店の収入は伸び悩み、出店における不動産取得や店舗建設に伴う借入金が重荷となっていた。

このため、不採算店舗の閉鎖などリストラを行う一方で、既存店舗のリニューアルや集客が望めるスロット専門店への切り替えなどを行ったが、2006年5月期の年収入高は約83億100万円にまで減少。今期に入っても集客力は回復せず、遊技機の更新に伴うリース経費の負担も重なり、今回の措置となった。

負債は債権者約120名に対し約73億円。

ナカボージャパン株式会社

ナカボージャパン(株)(資本金9000万円、大阪市中央区淡路町3-6-14、代表大賀雄三氏、従業員78名)は、7月1日に大阪地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日保全命令を受けた。

申請代理人は比嘉廉丈弁護士(大阪市中央区本町3-5-7、電話06-4705-2882)ほか。

当社は、1991年(平成3年)5月に中島毛糸紡績(株)(1937年創業)のグループ会社として設立されたが程なく営業を休止。

その後、海外製品の大量流入などで中島毛糸紡績が2001年12月に工場稼働を停止、また関連会社が手がけたゴルフ場開発の失敗などから、グループ会社でニット原糸・ニット製品の販売を手がけていた(株)ナカボーが清算することとなり、2002年8月から順次ナカボーの営業権を当社に移管していた。

営業を再開した当社は、セーターほかニット製品(75%)、ニット原糸(25%)の製造販売を手がけ、主に製造工程は中国やタイ、マレーシアなどアジア諸国の外注を利用。大手商社や有名アパレルメーカー向けに販路を築くなど、2003年7月期は年売上高約83億1800万円をあげていた。

しかし以降は、ニット製品の不振に伴い、2006年同期の年売上高は約64億7700万円にダウンしたほか、小口の不良債権の散発など、収益性も低調に推移。今年6月に入り前代表が死去したこともあり、今回の措置となった。

負債は2006年7月末時点で割引手形を含め約52億円。